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2025年(令和7年) 4月19日土曜日 AM 11時34分 (JST)
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「あおもり歴史トリビア」第618号(令和6年9月13日配信)
「あおもり歴史トリビア」第618号(令和6年9月13日配信)
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〈青森市メールマガジン〉
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こんにちは。歴史資料室の村上です。現在、青森県近代文学館において特別展「作家とのりもの」が開催されています。この展示では乗り物に関連する文学作品を発表した青森県出身の作家のエピソードや、青森ゆかりの乗り物に関連する文学作品などを紹介しています。
展示資料のひとつに「飛行機による北日本一周記念」の色紙があります。これは昭和9年(1934)9月に読売新聞社が行った「空の紀行リレー」という企画に参加した林芙美子(はやし・ふみこ)、大佛次郎(おさらぎ・じろう)、西條八十(さいじょう・やそ)、櫻井忠温(さくらい・ただよし)が企画の成功を記念して書いた色紙です。「空の紀行リレー」は作家たちが読売新聞社所有の飛行機・ヨミウリ第三号機に搭乗し、リレー形式で紀行文を執筆するという企画で、大佛は東京−青森間を、林は青森−札幌間と札幌−能代間を、櫻井は能代−富山間を、西條は富山−東京間を飛行機で移動しました。
林は「空の紀行リレー」での体験を随筆「飛行機の旅」(『文学的断章』〈河出書房 1936年〉に収録)に綴っています。この随筆は「私は飛行機が大嫌ひだ」という一文で始まります。読売新聞社から依頼を受けた林は、飛行機が墜落して死んでしまうかもしれないと考え、出発前に小説集をまとめたり、台所を整理したり、手紙を焼いたりしたといいます。さらに、自分が死んでしまった場合、残された家族が生活していけるようにと印税や借金も調べています。飛行機嫌いの林にとってこの企画は一大事であったことが伝わってきます。
林は油川町の青森飛行場から飛行機に搭乗するため、まずは9月2日に夜行列車で上野を出発し、青森へ向かいました。青森には翌日午後に到着しました。この時、青森の天候に問題はありませんでしたが、東京で雨が降っていたため、フライトは中止となりました。翌日以降も東京では雨が降り続き、林は青森で足止めされました。
当時、読売新聞社青森支局に勤務していた小沼幹止(こぬま・かんし)によると、林ははじめ浅虫温泉に滞在していましたが、山に行きたいと話したため酸ヶ湯温泉へと案内し、さらに静寂な場所を求めて蔦温泉へ向かったそうです(小沼幹止『八甲田物語』放送ジャーナル 1971年)。
そして、9月12日午後、大佛を乗せた飛行機がようやく青森飛行場に到着しました。翌日、林は大佛に見送られ、青森飛行場を出発しました。飛行機に乗り込む際には乗り物酔いをしないよう、へその上に梅干しをくくりつけるおまじないをしたといいます。
目的地の札幌飛行場には約1時間で到着しました。このフライトで自信がついたという林は、飛行機に「早く乗りたくつて仕方がない」と感じるようになり、札幌−能代間のフライトでは酔い止めのおまじないをしなかったそうです。「空の紀行リレー」は林の飛行機に対する印象を大きく変えたのですね。
《問合せ》
青森市民図書館 歴史資料室
青森市新町一丁目3番7号
TEL:017-732-5271
電子メール: rekishi-shiryo@city.aomori.aomori.jp
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[言語]
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[エリア]
青森県 青森市
登録日 :
2024/09/13
掲載日 :
2024/09/13
変更日 :
2024/09/13
総閲覧数 :
125 人
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こんにちは。歴史資料室の村上です。現在、青森県近代文学館において特別展「作家とのりもの」が開催されています。この展示では乗り物に関連する文学作品を発表した青森県出身の作家のエピソードや、青森ゆかりの乗り物に関連する文学作品などを紹介しています。
展示資料のひとつに「飛行機による北日本一周記念」の色紙があります。これは昭和9年(1934)9月に読売新聞社が行った「空の紀行リレー」という企画に参加した林芙美子(はやし・ふみこ)、大佛次郎(おさらぎ・じろう)、西條八十(さいじょう・やそ)、櫻井忠温(さくらい・ただよし)が企画の成功を記念して書いた色紙です。「空の紀行リレー」は作家たちが読売新聞社所有の飛行機・ヨミウリ第三号機に搭乗し、リレー形式で紀行文を執筆するという企画で、大佛は東京−青森間を、林は青森−札幌間と札幌−能代間を、櫻井は能代−富山間を、西條は富山−東京間を飛行機で移動しました。
林は「空の紀行リレー」での体験を随筆「飛行機の旅」(『文学的断章』〈河出書房 1936年〉に収録)に綴っています。この随筆は「私は飛行機が大嫌ひだ」という一文で始まります。読売新聞社から依頼を受けた林は、飛行機が墜落して死んでしまうかもしれないと考え、出発前に小説集をまとめたり、台所を整理したり、手紙を焼いたりしたといいます。さらに、自分が死んでしまった場合、残された家族が生活していけるようにと印税や借金も調べています。飛行機嫌いの林にとってこの企画は一大事であったことが伝わってきます。
林は油川町の青森飛行場から飛行機に搭乗するため、まずは9月2日に夜行列車で上野を出発し、青森へ向かいました。青森には翌日午後に到着しました。この時、青森の天候に問題はありませんでしたが、東京で雨が降っていたため、フライトは中止となりました。翌日以降も東京では雨が降り続き、林は青森で足止めされました。
当時、読売新聞社青森支局に勤務していた小沼幹止(こぬま・かんし)によると、林ははじめ浅虫温泉に滞在していましたが、山に行きたいと話したため酸ヶ湯温泉へと案内し、さらに静寂な場所を求めて蔦温泉へ向かったそうです(小沼幹止『八甲田物語』放送ジャーナル 1971年)。
そして、9月12日午後、大佛を乗せた飛行機がようやく青森飛行場に到着しました。翌日、林は大佛に見送られ、青森飛行場を出発しました。飛行機に乗り込む際には乗り物酔いをしないよう、へその上に梅干しをくくりつけるおまじないをしたといいます。
目的地の札幌飛行場には約1時間で到着しました。このフライトで自信がついたという林は、飛行機に「早く乗りたくつて仕方がない」と感じるようになり、札幌−能代間のフライトでは酔い止めのおまじないをしなかったそうです。「空の紀行リレー」は林の飛行機に対する印象を大きく変えたのですね。
《問合せ》
青森市民図書館 歴史資料室
青森市新町一丁目3番7号
TEL:017-732-5271
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