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「あおもり歴史トリビア」第592号(令和6年3月8日配信)
「あおもり歴史トリビア」第592号(令和6年3月8日配信)
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〈青森市メールマガジン〉
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こんにちは。歴史資料室の村上です。現在、歴史資料室では企画展示「青森市内石碑めぐり2」を開催しています。8階のパネル展示では青森県師範学校(弘前大学教育学部の前身)で習字科の教員を務めた人物を取り上げ、関連する石碑について解説しています。
合浦公園には師範学校で教鞭を執った3人の書家の記念碑があります。このうち「小山内暉山翁之碑」と「故本間覃山翁之碑」については第532号(令和4年12月2日配信)で詳しくご紹介しました。今回はもう一つの石碑についてお話しします。
それは宮川逸仙(みやかわ・いっせん 本名・隆治〈りゅうじ〉 1888−1968)の「報恩記念碑」(昭和32年〈1957〉11月17日建立)です。逸仙は秋田県馬場目村(現五城目町)出身で、大正5年(1916)に秋田県師範学校本科第二部を卒業し、小学校教員を経て大正14年に青森県師範学校の教員となりました。昭和6年には弘前市の書道団体「北門書道会」の設立に関わり、戦後は弘前大学教育学部の教員を務めました。書道界での功績が評価され、昭和42年に青森県文化賞を受賞しています。
では、逸仙は師範学校でどのような指導を行っていたのでしょうか。師範学校の書道部に所属していた木村良治(昭和23年3月卒業)によると、逸仙は生徒から書の添削を頼まれた際、たとえ直すべき字がたくさんあっても一、二字しか直さなかったといいます。生徒が卒業して教師になった時、子どもたちに励みを持たせながら指導できるようにと、あえてそうした添削方法をとっていたそうです。字を美しく書く技術だけでなく、教師としての心構えも伝えていたのですね。
さて、合浦公園にある「報恩記念碑」は逸仙が弘前大学を定年退職したあと、教え子の書道関係者たちが建立したものです。荒関雲鶴、宮川翠雨、三上翠峰らが発起人となって宮川逸仙先生報恩会を組織し、建立資金を集めたといいます。
そして、報恩会では石碑に刻む言葉を合浦公園の風致を讃えるものにしようと考え、「松聲和濤韻」と決め、逸仙が揮毫しました。「松聲(しょうせい)」は松の木に風が吹いて鳴る音、「濤韻」は波の音のことで、その音がよく調和する様を表現しています。石碑を訪ね、松聲と濤韻の調和を感じてみてはいかがでしょうか。
※今回の内容は『合浦の碑』(青森市教育委員会 1964年)、『山河秀づる―昭和の時代と青森師範学校へのレクイエム』(1986年)、『三十年の歩み−北門書道会の歴史−』(北門書道会 1961年)などを参考にしました。
《問合せ》
青森市民図書館 歴史資料室
TEL:017-732-5271
電子メール: rekishi-shiryo@city.aomori.aomori.jp
青森市メールマガジンをご利用いただき、ありがとうございます。
登録の変更や利用停止の手続は、次の画面からどうぞ。
○青森市ホームページ
http://www.city.aomori.aomori.jp/mailmagazine-riyou.html
○携帯サイト「青森市mini」
http://www.city.aomori.aomori.jp/koho-kocho/keitai-mini/top/mailmagazine.html
-編集・発行---------
企画部広報広聴課
青森市中央1-22-5
TEL:017-734-5106
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[注册人]
青森市
[语言]
日本語
[区]
青森県 青森市
注册日期 :
2024/03/08
发布日 :
2024/03/08
更改日期 :
2024/03/08
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合浦公園には師範学校で教鞭を執った3人の書家の記念碑があります。このうち「小山内暉山翁之碑」と「故本間覃山翁之碑」については第532号(令和4年12月2日配信)で詳しくご紹介しました。今回はもう一つの石碑についてお話しします。
それは宮川逸仙(みやかわ・いっせん 本名・隆治〈りゅうじ〉 1888−1968)の「報恩記念碑」(昭和32年〈1957〉11月17日建立)です。逸仙は秋田県馬場目村(現五城目町)出身で、大正5年(1916)に秋田県師範学校本科第二部を卒業し、小学校教員を経て大正14年に青森県師範学校の教員となりました。昭和6年には弘前市の書道団体「北門書道会」の設立に関わり、戦後は弘前大学教育学部の教員を務めました。書道界での功績が評価され、昭和42年に青森県文化賞を受賞しています。
では、逸仙は師範学校でどのような指導を行っていたのでしょうか。師範学校の書道部に所属していた木村良治(昭和23年3月卒業)によると、逸仙は生徒から書の添削を頼まれた際、たとえ直すべき字がたくさんあっても一、二字しか直さなかったといいます。生徒が卒業して教師になった時、子どもたちに励みを持たせながら指導できるようにと、あえてそうした添削方法をとっていたそうです。字を美しく書く技術だけでなく、教師としての心構えも伝えていたのですね。
さて、合浦公園にある「報恩記念碑」は逸仙が弘前大学を定年退職したあと、教え子の書道関係者たちが建立したものです。荒関雲鶴、宮川翠雨、三上翠峰らが発起人となって宮川逸仙先生報恩会を組織し、建立資金を集めたといいます。
そして、報恩会では石碑に刻む言葉を合浦公園の風致を讃えるものにしようと考え、「松聲和濤韻」と決め、逸仙が揮毫しました。「松聲(しょうせい)」は松の木に風が吹いて鳴る音、「濤韻」は波の音のことで、その音がよく調和する様を表現しています。石碑を訪ね、松聲と濤韻の調和を感じてみてはいかがでしょうか。
※今回の内容は『合浦の碑』(青森市教育委員会 1964年)、『山河秀づる―昭和の時代と青森師範学校へのレクイエム』(1986年)、『三十年の歩み−北門書道会の歴史−』(北門書道会 1961年)などを参考にしました。
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