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2025年(令和7年) 5月18日日曜日 PM 07時36分 (JST)
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「あおもり歴史トリビア」第628号(令和6年11月22日配信)
「あおもり歴史トリビア」第628号(令和6年11月22日配信)
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〈青森市メールマガジン〉
■□■□■□■□■□■
今日は!歴史資料室の鈴木です。
今回は、昭和戦前期に将来への夢を抱いて大陸へ渡った少年たちのお話をしたいと思います。
昭和8年(1933)12月15日、青森駅から25名の少年が大連に向けて出発しました。彼らは「満州少年商業移動団」(以下「移動団」)。満州国で働くために青森県内から選抜された少年たちです。
この移動団が結成されたきっかけは、同年7月25日から3週間の日程で実施された、青森運輸事務所主催の満鮮実業視察団でした。県内の実業家など22名が参加したこの視察団は、これまで大阪や名古屋の商人が多かった満州に、新たな商機を求めて視察に赴いたのです。それは、弘前に司令部を置く第八師団が満州で活躍しているにも関わらず実業界に青森県人が少いこと、また満州と朝鮮を結ぶ鉄道が開通し、さらに朝鮮と新潟・敦賀間を運行する北鮮航路がいずれ青森港に寄港するかもしれないとの期待があったからでした。
これに参加した青森市議の下田賢三は全国蓄音機商組合の常任理事として、同じく市議の鈴木大観と共に大連の全満州蓄音機商組合長の藤飯弥太郎を訪問しました。その時、藤飯から「青森県は凶作、海嘯(昭和8年の三陸大津波)、経済界不振で恵まれない土地と聞いている、ひとつ少年商業移動団を組織して満州へ進出しては如何」との提案を受けました。また、満州へ進出するなら語学や国情の研究が必要だ。それには少年から育てるのが一番だ。満州では店員が不足しているので、自分が面倒をみて大連の店や会社に就職を世話しようとの申し出があり、この計画が実現しました。
そして同年12月4日、「移動団」参加者の募集が始まりました。大連側は全満州蓄音機商組合が主催、大連市役所、関東庁民政署、大連各新聞社が後援し、青森側は実業視察団の参加者らで結成した青森鮮満交友会が主催、青森県社会課、青森・八戸両市役所が後援しました。募集人数は25名、尋常科卒業以上で年齢15〜17歳の少年、旅費は主催者が負担、履歴書と父兄の承諾書の提出が必要でした。
当初、12月10日が応募期限でしたが、7日までに139名もの申し込みがあったために前倒しで締切られました。実は、この頃の東北地方は、昭和5年から始まった昭和恐慌と昭和6年の大凶作の影響で深刻な不況に陥り、農村も疲弊していました。失業者が街に溢れ、若者の就職もとても厳しい状態でした。同年10月に開店した青森デパートの店員募集には、4日間でなんと500人以上が履歴書を持参したそうです。ですから、少年たちは青森を出て大陸へ渡り、将来の可能性に賭けたいと考えたのでしょう。中には学校を退学してでも行きたいと希望する者もありました。
そして、応募者のうち条件に適合する87名が、12月10日に新町小学校で作文試験と口頭試問に臨みました。
この移動団員に選ばれた少年たちについては、また来月続きをお伝えします。
《問合せ》
青森市民図書館 歴史資料室
青森市新町一丁目3番7号
TEL:017-732-5271
電子メール: rekishi-shiryo@city.aomori.aomori.jp
青森市メールマガジンをご利用いただき、ありがとうございます。
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○青森市ホームページ
http://www.city.aomori.aomori.jp/mailmagazine-riyou.html
[登録者]
青森市
[言語]
日本語
[エリア]
青森県 青森市
登録日 :
2024/11/22
掲載日 :
2024/11/22
変更日 :
2024/11/22
総閲覧数 :
102 人
Web Access No.
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今回は、昭和戦前期に将来への夢を抱いて大陸へ渡った少年たちのお話をしたいと思います。
昭和8年(1933)12月15日、青森駅から25名の少年が大連に向けて出発しました。彼らは「満州少年商業移動団」(以下「移動団」)。満州国で働くために青森県内から選抜された少年たちです。
この移動団が結成されたきっかけは、同年7月25日から3週間の日程で実施された、青森運輸事務所主催の満鮮実業視察団でした。県内の実業家など22名が参加したこの視察団は、これまで大阪や名古屋の商人が多かった満州に、新たな商機を求めて視察に赴いたのです。それは、弘前に司令部を置く第八師団が満州で活躍しているにも関わらず実業界に青森県人が少いこと、また満州と朝鮮を結ぶ鉄道が開通し、さらに朝鮮と新潟・敦賀間を運行する北鮮航路がいずれ青森港に寄港するかもしれないとの期待があったからでした。
これに参加した青森市議の下田賢三は全国蓄音機商組合の常任理事として、同じく市議の鈴木大観と共に大連の全満州蓄音機商組合長の藤飯弥太郎を訪問しました。その時、藤飯から「青森県は凶作、海嘯(昭和8年の三陸大津波)、経済界不振で恵まれない土地と聞いている、ひとつ少年商業移動団を組織して満州へ進出しては如何」との提案を受けました。また、満州へ進出するなら語学や国情の研究が必要だ。それには少年から育てるのが一番だ。満州では店員が不足しているので、自分が面倒をみて大連の店や会社に就職を世話しようとの申し出があり、この計画が実現しました。
そして同年12月4日、「移動団」参加者の募集が始まりました。大連側は全満州蓄音機商組合が主催、大連市役所、関東庁民政署、大連各新聞社が後援し、青森側は実業視察団の参加者らで結成した青森鮮満交友会が主催、青森県社会課、青森・八戸両市役所が後援しました。募集人数は25名、尋常科卒業以上で年齢15〜17歳の少年、旅費は主催者が負担、履歴書と父兄の承諾書の提出が必要でした。
当初、12月10日が応募期限でしたが、7日までに139名もの申し込みがあったために前倒しで締切られました。実は、この頃の東北地方は、昭和5年から始まった昭和恐慌と昭和6年の大凶作の影響で深刻な不況に陥り、農村も疲弊していました。失業者が街に溢れ、若者の就職もとても厳しい状態でした。同年10月に開店した青森デパートの店員募集には、4日間でなんと500人以上が履歴書を持参したそうです。ですから、少年たちは青森を出て大陸へ渡り、将来の可能性に賭けたいと考えたのでしょう。中には学校を退学してでも行きたいと希望する者もありました。
そして、応募者のうち条件に適合する87名が、12月10日に新町小学校で作文試験と口頭試問に臨みました。
この移動団員に選ばれた少年たちについては、また来月続きをお伝えします。
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