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2025年(令和7年) 4月10日木曜日 PM 04時45分 (JST)
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「あおもり歴史トリビア」第630号(令和6年12月6日配信)
「あおもり歴史トリビア」第630号(令和6年12月6日配信)
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〈青森市メールマガジン〉
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こんにちは!歴史資料室の鈴木です。今日は、11月22日配信の、大陸に夢を抱いて渡った「満州少年商業移動団」(以下「移動団」)の続きです。
昭和8年(1933)12月、応募者87名の中から選ばれた25名は、現在の青森市域から17名、八戸市から3名、大鰐町から2名、弘前市、藤崎町、百石町(現おいらせ町)から各1名ずつの、15〜17歳の少年たちです。彼らは満州の有名商店や会社へ就職して商売の実習をし、満州語や満州の国情を学び、将来の実業家を目指す少年たちでした。
雇用条件は、食費や宿舎費などは雇主が負担、賞与もあり、徴兵検査の年齢になったら検査地までの旅費も雇主が持ち、戻っても現職のままとする。病気や事故があった場合も主催者の全満州蓄音機商組合長の藤飯弥太郎が父兄に代わって面倒をみる、という好条件でした。
しかし、12月4日に募集を開始し、10日に合格者発表、出発は15日という慌ただしい日程でしたので、新世界にワクワクする反面、本人も家族も不安や寂しさがあったのではないでしょうか。
12月13日付『東奥日報』朝刊には「独力でやらせてみたい」「満洲へ種子を蒔くつもりで」といった父兄の言葉や、「若いうちに頑張る」「寂しいことなんかない」といった本人の言葉が載っています。また同日夕刊には「傍へおいても職はなし、それよりもしっかり育てて下さる方へ将来のためになるやうお願ひした方がよいと思ひましてやることにしました」という母の言葉もあります。親子ともに、先行きの見えない青森を出て大陸に渡ることに将来の夢を求めたのでしょう。
出発前日の14日には、浪打小学校において関係する少年11名の送別記念学芸会ならびに送別会が開かれました。これには青森側主催者の青森満鮮交友会の下田賢三・鈴木大観両市議も出席し、激励の辞を送っています。
そして、15日午前11時から、青森市公会堂で移動団の送別会が開かれ、団員と父兄のほか、県学務部長、北山青森市長、商工会議所会頭、青森満鮮交友会々員など60名が出席しました。その後、団員は藤飯勉移動団々長(藤飯弥太郎の子息)に引率され、善知鳥神社を参拝ののち、青森駅に向かいます。一行と共に、浪打小学校の喇叭鼓隊(らっぱこたい)を先頭に500余名の生徒が行進し、万歳三唱で見送りました。
移動団の少年たちは、まず東京で皇居遥拝し、明治神宮で結団式を行ない市中を見学、翌日は大阪を見学し、神戸から「ばいかる号」に乗って大連に到着しました。移動団を計画した下田賢三・鈴木大観両市議も、大連まで少年たちに付添いました。大連では忠霊塔を参拝し、23日にはそれぞれ就職先が決定し配属されたようです。
この移動団の少年たちは満州で評判が良かったようで、昭和10年4月には第2回の移動団が結成されています。さらに翌11年の5月には第3回が実施されましたが、その後も事業が継続したのかどうかは、まだ掴めていません。現在続けている、昭和戦前期の海外移住に関する新聞記事の蒐集の中で、新たな発見があればまたお伝えしたいと思います。
《問合せ》
青森市民図書館 歴史資料室
青森市新町一丁目3番7号
TEL:017-732-5271
電子メール: rekishi-shiryo@city.aomori.aomori.jp
青森市メールマガジンをご利用いただき、ありがとうございます。
登録の変更や利用停止の手続は、次の画面からどうぞ。
○青森市ホームページ
http://www.city.aomori.aomori.jp/mailmagazine-riyou.html
[登録者]
青森市
[言語]
日本語
[エリア]
青森県 青森市
登録日 :
2024/12/06
掲載日 :
2024/12/06
変更日 :
2024/12/06
総閲覧数 :
82 人
Web Access No.
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こんにちは!歴史資料室の鈴木です。今日は、11月22日配信の、大陸に夢を抱いて渡った「満州少年商業移動団」(以下「移動団」)の続きです。
昭和8年(1933)12月、応募者87名の中から選ばれた25名は、現在の青森市域から17名、八戸市から3名、大鰐町から2名、弘前市、藤崎町、百石町(現おいらせ町)から各1名ずつの、15〜17歳の少年たちです。彼らは満州の有名商店や会社へ就職して商売の実習をし、満州語や満州の国情を学び、将来の実業家を目指す少年たちでした。
雇用条件は、食費や宿舎費などは雇主が負担、賞与もあり、徴兵検査の年齢になったら検査地までの旅費も雇主が持ち、戻っても現職のままとする。病気や事故があった場合も主催者の全満州蓄音機商組合長の藤飯弥太郎が父兄に代わって面倒をみる、という好条件でした。
しかし、12月4日に募集を開始し、10日に合格者発表、出発は15日という慌ただしい日程でしたので、新世界にワクワクする反面、本人も家族も不安や寂しさがあったのではないでしょうか。
12月13日付『東奥日報』朝刊には「独力でやらせてみたい」「満洲へ種子を蒔くつもりで」といった父兄の言葉や、「若いうちに頑張る」「寂しいことなんかない」といった本人の言葉が載っています。また同日夕刊には「傍へおいても職はなし、それよりもしっかり育てて下さる方へ将来のためになるやうお願ひした方がよいと思ひましてやることにしました」という母の言葉もあります。親子ともに、先行きの見えない青森を出て大陸に渡ることに将来の夢を求めたのでしょう。
出発前日の14日には、浪打小学校において関係する少年11名の送別記念学芸会ならびに送別会が開かれました。これには青森側主催者の青森満鮮交友会の下田賢三・鈴木大観両市議も出席し、激励の辞を送っています。
そして、15日午前11時から、青森市公会堂で移動団の送別会が開かれ、団員と父兄のほか、県学務部長、北山青森市長、商工会議所会頭、青森満鮮交友会々員など60名が出席しました。その後、団員は藤飯勉移動団々長(藤飯弥太郎の子息)に引率され、善知鳥神社を参拝ののち、青森駅に向かいます。一行と共に、浪打小学校の喇叭鼓隊(らっぱこたい)を先頭に500余名の生徒が行進し、万歳三唱で見送りました。
移動団の少年たちは、まず東京で皇居遥拝し、明治神宮で結団式を行ない市中を見学、翌日は大阪を見学し、神戸から「ばいかる号」に乗って大連に到着しました。移動団を計画した下田賢三・鈴木大観両市議も、大連まで少年たちに付添いました。大連では忠霊塔を参拝し、23日にはそれぞれ就職先が決定し配属されたようです。
この移動団の少年たちは満州で評判が良かったようで、昭和10年4月には第2回の移動団が結成されています。さらに翌11年の5月には第3回が実施されましたが、その後も事業が継続したのかどうかは、まだ掴めていません。現在続けている、昭和戦前期の海外移住に関する新聞記事の蒐集の中で、新たな発見があればまたお伝えしたいと思います。
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