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2025年(令和7年) 4月10日木曜日 PM 04時45分 (JST)
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「あおもり歴史トリビア」第646号(令和7年4月4日配信)
「あおもり歴史トリビア」第646号(令和7年4月4日配信)
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〈青森市メールマガジン〉
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みなさん、こんにちは。室長の工藤です。
歴史資料室では毎月第3水曜日に歴史講座を開催しています。今月は4月16日に「県都青森誕生をめぐる新史料」というテーマで1時間程度お話をする予定です(定員になりましたので申込みは終了)。この講座の準備のために改めて史料を読み直しています。
明治4年(1871)7月の廃藩置県を経て青森県が誕生するにあたっては、政府側では大蔵卿の大久保利通、当事者的な位置には八戸藩の太田広城、斗南県の広沢安任、そして県庁所在地を弘前から青森へ移転させることを主張した野田豁通(のだ・ひろみち)といった人物がその舞台に登場します。
今回の歴史講座では「県都青森誕生」(=県庁移転)がテーマとなるので、野田豁通に注目しながら史料や文献を読んでいます。
さて、明治4年9月4日、弘前県・黒石県・八戸県・七戸県・斗南県・館県の6県が合県して弘前県が誕生しました。そして、野田豁通が弘前県大参事に任じられるのですが、その日付を通史レベルでは「9月」とするものと「9月5日」とするものがあります。この日付について、『青森県史』資料編近現代1に収録されている史料には「此月(=9月)」とあるだけでした。では一体「9月5日」とする根拠はどこにあるのでしょう…?
そこで私がたどりついたのは、野田豁通の履歴等を綴った記録です。これは北海道大学附属図書館の「北方資料データベース」で公開されていて、かつての北海道史編さんの際に書写されたのではないかと思われます。この履歴は野田家の文書で、書写の時点で文章が抜け落ちてしまった形跡もあり、また少々誇大な表現もありますが、事実関係は概ね信用できるのではないかとみています。
そうすると、「9月5日」の6県合併とおなじ日に「同日、弘前県大参事ニ被任」とありました。ここから「9月5日」は確認できました。しかし、6県合併の日付が通説と1日ずれるのです。これについては、慶応3年(1867)〜明治14年までの太政官日記などから先例や法令を採録・編集した「太政類典(だじょうるいてん)」に収録された史料によれば、大蔵省から弘前県に通達されたのが9月4日で、「布告」されたのが翌9月5日であったとみられます。
ところで、野田の履歴をさらに読み進めていくと、青森県庁の開庁を目前に控えた11月2日、「青森県ヲ廃シ更ニ青森県ヲ置カレ」というのです。これは「元江刺県内(現岩手県奥州市)の青森県域六六か村が盛岡県(翌72年に岩手県に改称)に移管」(『青森県史』通史編3近現代・民俗)されたことを踏まえてのことだと思われます。県域に変更される際に行政手続き上このようなことがあったのか…。史料探しの新たな課題です。
《問合せ》
青森市民図書館 歴史資料室
青森市新町一丁目3番7号
TEL:017-732-5271
電子メール: rekishi-shiryo@city.aomori.aomori.jp
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○青森市ホームページ
http://www.city.aomori.aomori.jp/mailmagazine-riyou.html
[登録者]
青森市
[言語]
日本語
[エリア]
青森県 青森市
登録日 :
2025/04/04
掲載日 :
2025/04/04
変更日 :
2025/04/04
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10 人
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明治4年(1871)7月の廃藩置県を経て青森県が誕生するにあたっては、政府側では大蔵卿の大久保利通、当事者的な位置には八戸藩の太田広城、斗南県の広沢安任、そして県庁所在地を弘前から青森へ移転させることを主張した野田豁通(のだ・ひろみち)といった人物がその舞台に登場します。
今回の歴史講座では「県都青森誕生」(=県庁移転)がテーマとなるので、野田豁通に注目しながら史料や文献を読んでいます。
さて、明治4年9月4日、弘前県・黒石県・八戸県・七戸県・斗南県・館県の6県が合県して弘前県が誕生しました。そして、野田豁通が弘前県大参事に任じられるのですが、その日付を通史レベルでは「9月」とするものと「9月5日」とするものがあります。この日付について、『青森県史』資料編近現代1に収録されている史料には「此月(=9月)」とあるだけでした。では一体「9月5日」とする根拠はどこにあるのでしょう…?
そこで私がたどりついたのは、野田豁通の履歴等を綴った記録です。これは北海道大学附属図書館の「北方資料データベース」で公開されていて、かつての北海道史編さんの際に書写されたのではないかと思われます。この履歴は野田家の文書で、書写の時点で文章が抜け落ちてしまった形跡もあり、また少々誇大な表現もありますが、事実関係は概ね信用できるのではないかとみています。
そうすると、「9月5日」の6県合併とおなじ日に「同日、弘前県大参事ニ被任」とありました。ここから「9月5日」は確認できました。しかし、6県合併の日付が通説と1日ずれるのです。これについては、慶応3年(1867)〜明治14年までの太政官日記などから先例や法令を採録・編集した「太政類典(だじょうるいてん)」に収録された史料によれば、大蔵省から弘前県に通達されたのが9月4日で、「布告」されたのが翌9月5日であったとみられます。
ところで、野田の履歴をさらに読み進めていくと、青森県庁の開庁を目前に控えた11月2日、「青森県ヲ廃シ更ニ青森県ヲ置カレ」というのです。これは「元江刺県内(現岩手県奥州市)の青森県域六六か村が盛岡県(翌72年に岩手県に改称)に移管」(『青森県史』通史編3近現代・民俗)されたことを踏まえてのことだと思われます。県域に変更される際に行政手続き上このようなことがあったのか…。史料探しの新たな課題です。
《問合せ》
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