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2025年(令和7年) 4月1日火曜日 PM 02時09分 (JST)
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「あおもり歴史トリビア」第641号(令和7年2月28日配信)
「あおもり歴史トリビア」第641号(令和7年2月28日配信)
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〈青森市メールマガジン〉
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みなさん、こんにちは。文化遺産課の石戸谷です。
今年(令和7年)の節分は2月2日で、日にちが例年と違うことが話題になりました。節分は、年に4回あるといえば驚かれるかもしれませんが、二十四節気の立春・立夏・立秋・立冬の前日を指し、太陽の動きを基に天文学的に決まるため、年によって日にちが前後することがあります。
このうち、春の節分は、陰陽道などで年の変わり目とされる立春の前日(大晦日)として重要視され、いつしか節分といえば、春の節分を指すようになりました。
節分の代表的な行事として知られる豆撒き。本来は、炒った大豆を使用しますが、全国落花生協会HPによると、北海道・東北・新潟県や宮崎県などでは大豆に代わって落花生が使われることが多いようです。唱え事を唱えて室内にまき散らして鬼を追い出す追儺(ついな)の行事です。
室町時代の文安4年(1447)の京都では、「明日は立春、夕方に豆を室内に撒き、鬼は外、福は内と唱えた」(意訳)ことが記録されています(「臥雲日件録抜尤」)。昭和30年代頃の青森市内の民俗事例としては、久栗坂地区では、炒った大豆を神棚にあげてから、家族の歳の分だけ撒きました。大豆を歳の数だけ食べればよいとか、漁師のなかには、この時の大豆をお守りにする人もいたそうです。油川地区では、「鬼は外福は内」と唱えて豆を投げた後、囲炉裏に大豆を12個並べ、焼け具合でその年の月々の天候や世の中の景気を占いました。
囲炉裏に大豆を並べる占いは、『青森市史叢書』には、荒川・小館・岡町・戸門・孫内・油川・六枚橋等各地区の事例が報告されています。「豆焼き」、「豆占い」、「世の中占い」などと呼ばれ、かつては、津軽地方の多くの家庭で行われました。農家の人たちにとって、「世の中」とは稲の豊凶を意味する言葉です。シボド(囲炉裏のこと)の灰の上に並べた大豆が、白く焼けた月は天気がよく、黒焦げは雨が多いと判断します。小館地区では、昭和20年(1945)頃でなくなったそうですが、囲炉裏が姿を消した現在では、途絶えた風習かもしれません。
ところで、現代の節分の代名詞とでもいうべき「恵方巻」。節分の夜に、包丁を入れない巻寿司を、その年の恵方を向いて無言のまま一本食べることで福を招くとされるものです。「節分に巻寿司を食べると福を呼ぶ」というPRは、寿司店などによって戦前から近畿地方を中心に行われてきましたが、全国区になったのは、大手コンビニエンスストアの販売戦略であるといいます。平成8年(1996)、「恵方巻」という名称で商品化し、メディアやマーケットが盛んに取り上げることで知られるようになりました。今日では、質量ともに「無言で丸かぶりできる」ものではなくなりましたが、季節感の演出や話題づくりとして人気を博しています。
ちなみに、全国的に節分に行われる、焼いたイワシの頭を柊の小枝に通して家の入口等に挿す「ヤイカガシ」は、津軽地方では「戸窓ふさぎ」といって、小正月に行われることが多いようです。
日本民俗学の父と呼ばれる柳田國男が、昭和6年に刊行した『明治大正史世相篇』のなかに、「何が新しく生まれた美しさで、何が失われた大切なものであるか」という言葉があります。伝統行事の変容が著しい現代社会においても、示唆に富んだ言葉であるかもしれませんね。
※恵方巻については、飯倉義之「「節分の巻寿司(恵方巻)行事」から見る年中行事の現在:恵方を向いてまるかぶれ・ふたたび」『國學院雑誌』第116巻第5号、2015年、國學院大學を参考にしました。
《問合せ》
青森市民図書館 歴史資料室
青森市新町一丁目3番7号
TEL:017-732-5271
電子メール: rekishi-shiryo@city.aomori.aomori.jp
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登録日 :
2025/02/28
掲載日 :
2025/02/28
変更日 :
2025/02/28
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今年(令和7年)の節分は2月2日で、日にちが例年と違うことが話題になりました。節分は、年に4回あるといえば驚かれるかもしれませんが、二十四節気の立春・立夏・立秋・立冬の前日を指し、太陽の動きを基に天文学的に決まるため、年によって日にちが前後することがあります。
このうち、春の節分は、陰陽道などで年の変わり目とされる立春の前日(大晦日)として重要視され、いつしか節分といえば、春の節分を指すようになりました。
節分の代表的な行事として知られる豆撒き。本来は、炒った大豆を使用しますが、全国落花生協会HPによると、北海道・東北・新潟県や宮崎県などでは大豆に代わって落花生が使われることが多いようです。唱え事を唱えて室内にまき散らして鬼を追い出す追儺(ついな)の行事です。
室町時代の文安4年(1447)の京都では、「明日は立春、夕方に豆を室内に撒き、鬼は外、福は内と唱えた」(意訳)ことが記録されています(「臥雲日件録抜尤」)。昭和30年代頃の青森市内の民俗事例としては、久栗坂地区では、炒った大豆を神棚にあげてから、家族の歳の分だけ撒きました。大豆を歳の数だけ食べればよいとか、漁師のなかには、この時の大豆をお守りにする人もいたそうです。油川地区では、「鬼は外福は内」と唱えて豆を投げた後、囲炉裏に大豆を12個並べ、焼け具合でその年の月々の天候や世の中の景気を占いました。
囲炉裏に大豆を並べる占いは、『青森市史叢書』には、荒川・小館・岡町・戸門・孫内・油川・六枚橋等各地区の事例が報告されています。「豆焼き」、「豆占い」、「世の中占い」などと呼ばれ、かつては、津軽地方の多くの家庭で行われました。農家の人たちにとって、「世の中」とは稲の豊凶を意味する言葉です。シボド(囲炉裏のこと)の灰の上に並べた大豆が、白く焼けた月は天気がよく、黒焦げは雨が多いと判断します。小館地区では、昭和20年(1945)頃でなくなったそうですが、囲炉裏が姿を消した現在では、途絶えた風習かもしれません。
ところで、現代の節分の代名詞とでもいうべき「恵方巻」。節分の夜に、包丁を入れない巻寿司を、その年の恵方を向いて無言のまま一本食べることで福を招くとされるものです。「節分に巻寿司を食べると福を呼ぶ」というPRは、寿司店などによって戦前から近畿地方を中心に行われてきましたが、全国区になったのは、大手コンビニエンスストアの販売戦略であるといいます。平成8年(1996)、「恵方巻」という名称で商品化し、メディアやマーケットが盛んに取り上げることで知られるようになりました。今日では、質量ともに「無言で丸かぶりできる」ものではなくなりましたが、季節感の演出や話題づくりとして人気を博しています。
ちなみに、全国的に節分に行われる、焼いたイワシの頭を柊の小枝に通して家の入口等に挿す「ヤイカガシ」は、津軽地方では「戸窓ふさぎ」といって、小正月に行われることが多いようです。
日本民俗学の父と呼ばれる柳田國男が、昭和6年に刊行した『明治大正史世相篇』のなかに、「何が新しく生まれた美しさで、何が失われた大切なものであるか」という言葉があります。伝統行事の変容が著しい現代社会においても、示唆に富んだ言葉であるかもしれませんね。
※恵方巻については、飯倉義之「「節分の巻寿司(恵方巻)行事」から見る年中行事の現在:恵方を向いてまるかぶれ・ふたたび」『國學院雑誌』第116巻第5号、2015年、國學院大學を参考にしました。
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電子メール: rekishi-shiryo@city.aomori.aomori.jp
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