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2025年(令和7年) 4月1日火曜日 PM 02時09分 (JST)
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「あおもり歴史トリビア」第639号(令和7年2月14日配信)
「あおもり歴史トリビア」第639号(令和7年2月14日配信)
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〈青森市メールマガジン〉
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こんにちは、歴史資料室の鈴木です。
以前、昭和戦前期に夢を抱いて青森から大陸へ渡った「満州少年商業移動団」についてお話しました(No.628・630)。その中で、昭和8年(1933)12月15日に彼等が出発するに際し、浪打小学校の「喇叭鼓隊(らっぱこたい)」を先頭に500余名の生徒が青森駅まで行進し、万歳三唱で見送ったと書きました。この喇叭鼓隊とはどんなものなのか気になっていたのですが、その結成について書かれている記事を見つけたのでご紹介したいと思います。
まず、喇叭鼓隊とは、軍隊などで使われるピストンのない単純なつくりの信号ラッパと太鼓で編成された楽隊です。浜松市楽器博物館だより『楽器の博物館』No.141によれば、陸軍軍楽隊の楽長補であった大沼哲(さとる)によって考案され、昭和2年頃から日本の小中学校で取り入れられるようになったそうです。戦前期に行われた全日本吹奏楽コンクールの前身となる大会では、昭和16年の第2回大会と翌年の第3回の大会に、学生および一般の「喇叭鼓隊」部門が設けられていました。
さて、浪打小学校の喇叭鼓隊の記事は、昭和8年9月9日付8日『東奥日報』夕刊に「少年喇叭鼓隊 青森浪打校に新設さる」として、写真入りで掲載されています。記事によれば、同校ではそれまで行進などにラッパを使っていましたが、あまりに軍隊式なので思案していました。そこへ、東京でこの喇叭鼓隊を見学した2代目大坂金助氏が、ぜひ地元の浪打小学校にもということで道具一式を寄附し、早速16名の高等科児童により練習を始めたのだそうです。
楽器は、小ラッパ6、中ラッパ4、大ラッパ1、小太鼓4、大太鼓1の編成で、指導には海軍信号手や海軍軍楽隊の経験のある県職員2名があたり、陸軍行進曲を練習中と書かれています。しかも、喇叭鼓隊を持っている学校は全国でもまだ珍しく、「浪打校の喇叭鼓隊設置は東北、北海道にかけて先鞭をつけたもの」だとしています。
さらに記事では校長先生の談話として、彌富破摩雄氏の作詞、芝宮内雅楽部員作曲の校歌も完成したので、そのお披露目もかねて、11月3日の明治節に喇叭鼓隊の披露式をしたいと伝えています。明治節とは昭和前期の祝日のひとつです。明治天皇の誕生日であり、学校や軍隊などでは祝賀式が行われていました。昭和23年に廃止され、現在は「文化の日」となっています。
ところが、その11月3日の未明、明治天皇の第8皇女である朝香宮妃が亡くなられ、予定されていた県庁の祝賀式をはじめ学校等の行事も、残念ながらすべて中止となってしまいました。
ただ、この時に披露される予定だった浪打小学校の校歌は、今も歌い継がれています。
《問合せ》
青森市民図書館 歴史資料室
青森市新町一丁目3番7号
TEL:017-732-5271
電子メール: rekishi-shiryo@city.aomori.aomori.jp
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○青森市ホームページ
http://www.city.aomori.aomori.jp/mailmagazine-riyou.html
[登録者]
青森市
[言語]
日本語
[エリア]
青森県 青森市
登録日 :
2025/02/14
掲載日 :
2025/02/14
変更日 :
2025/02/14
総閲覧数 :
67 人
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2545967
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こんにちは、歴史資料室の鈴木です。
以前、昭和戦前期に夢を抱いて青森から大陸へ渡った「満州少年商業移動団」についてお話しました(No.628・630)。その中で、昭和8年(1933)12月15日に彼等が出発するに際し、浪打小学校の「喇叭鼓隊(らっぱこたい)」を先頭に500余名の生徒が青森駅まで行進し、万歳三唱で見送ったと書きました。この喇叭鼓隊とはどんなものなのか気になっていたのですが、その結成について書かれている記事を見つけたのでご紹介したいと思います。
まず、喇叭鼓隊とは、軍隊などで使われるピストンのない単純なつくりの信号ラッパと太鼓で編成された楽隊です。浜松市楽器博物館だより『楽器の博物館』No.141によれば、陸軍軍楽隊の楽長補であった大沼哲(さとる)によって考案され、昭和2年頃から日本の小中学校で取り入れられるようになったそうです。戦前期に行われた全日本吹奏楽コンクールの前身となる大会では、昭和16年の第2回大会と翌年の第3回の大会に、学生および一般の「喇叭鼓隊」部門が設けられていました。
さて、浪打小学校の喇叭鼓隊の記事は、昭和8年9月9日付8日『東奥日報』夕刊に「少年喇叭鼓隊 青森浪打校に新設さる」として、写真入りで掲載されています。記事によれば、同校ではそれまで行進などにラッパを使っていましたが、あまりに軍隊式なので思案していました。そこへ、東京でこの喇叭鼓隊を見学した2代目大坂金助氏が、ぜひ地元の浪打小学校にもということで道具一式を寄附し、早速16名の高等科児童により練習を始めたのだそうです。
楽器は、小ラッパ6、中ラッパ4、大ラッパ1、小太鼓4、大太鼓1の編成で、指導には海軍信号手や海軍軍楽隊の経験のある県職員2名があたり、陸軍行進曲を練習中と書かれています。しかも、喇叭鼓隊を持っている学校は全国でもまだ珍しく、「浪打校の喇叭鼓隊設置は東北、北海道にかけて先鞭をつけたもの」だとしています。
さらに記事では校長先生の談話として、彌富破摩雄氏の作詞、芝宮内雅楽部員作曲の校歌も完成したので、そのお披露目もかねて、11月3日の明治節に喇叭鼓隊の披露式をしたいと伝えています。明治節とは昭和前期の祝日のひとつです。明治天皇の誕生日であり、学校や軍隊などでは祝賀式が行われていました。昭和23年に廃止され、現在は「文化の日」となっています。
ところが、その11月3日の未明、明治天皇の第8皇女である朝香宮妃が亡くなられ、予定されていた県庁の祝賀式をはじめ学校等の行事も、残念ながらすべて中止となってしまいました。
ただ、この時に披露される予定だった浪打小学校の校歌は、今も歌い継がれています。
《問合せ》
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