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2025年(令和7年) 7月27日日曜日 AM 07時23分 (JST)
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「あおもり歴史トリビア」第661号(令和7年7月18日配信)
「あおもり歴史トリビア」第661号(令和7年7月18日配信)
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〈青森市メールマガジン〉
■□■□■□■□■□■
みなさん、こんにちは。室長の工藤です。
10年前のことですが、平成27年(2015)2月13日に配信のメールマガジンNo.145で、昭和53年(1978)の青森市制80周年事業として実施した「青森80選」を取り上げました。これは、市民のはがき投票と委員による推薦でもって、「青森らしさ」を見て取ることができる歴史や自然・名所、行事などを80選んだものです。
そのなかのひとつに「千富町の一本松」があります。
万太郎堰の向い側にあるこの一本松が選出された背景は、「昔は、浪館へむかうには久須志神社の所からたんぼの細い道を通って行きましたが、そのとちゅうに大きな一本松があり、休み場所となっていました(『青少年のためのあおもり80選』青森市、1978年)」というところにあるようです。
ところが、現在この一本松といえば「一本松の決闘」、すなわち万太郎堰に関わった水争い(水利をめぐるトラブル)の現場であるという、一本松の脇にある解説板に記されたストーリーで理解するのが一般的ではないでしょうか。先日、ラジオの生番組出演した際、万太郎堰に関する情報を視聴者から集めたところ、情報を送ってくださった視聴者のおじいさんが「一本松の決闘」に参加していたとか。このストーリーのすそ野の広さを感じます。
万太郎堰と水争いについては、肴倉弥八「青森平野開拓雑考」(1957年)で指摘してはいるものの実例が示されてはいません。ですから、一本松が争いの現場であったことが歴史的事実であった確証はありません。また、肴倉は万太郎堰の開さく者である「浅利万太郎庄屋が財産を減らしたのは、水争いの調停に多額の金を出資したためであるという(肴倉『青森市町内盛衰記』1953年)」との伝聞情報を記しています。
ですから、万太郎堰にまつわる一本松・水争いのストーリーは、必ずしも実証的ではなく、地域伝承的に伝わっていたものを昭和20年代末〜同30年代初頭に肴倉が拾い上げ「文字化」することで、歴史事実化されていったのかもしれません。一方、昭和50年代おいてこれとは異なるストーリーがあることは注目しておきたいところです。
というのは、たとえばJR青森駅西口付近にあったという地名「萬町」(現在旧町名表示柱が設置されています)の由来についても複数存在するようで、「萬」は「万太郎」にちなむとするものもあります。「万太郎」にまつわる事柄の周辺には複数の伝承的なストーリーが存在するケースがあるのです。
その意味では「聞き取り調査」が重要になってくるのでしょう。これは大きな課題です。
《問合せ》
青森市民図書館 歴史資料室
青森市新町一丁目3番7号
TEL:017-732-5271
電子メール: rekishi-shiryo@city.aomori.aomori.jp
青森市メールマガジンをご利用いただき、ありがとうございます。
登録の変更や利用停止の手続は、次の画面からどうぞ。
○青森市ホームページ
http://www.city.aomori.aomori.jp/mailmagazine-riyou.html
[登録者]
青森市
[言語]
日本語
[エリア]
青森県 青森市
登録日 :
2025/07/18
掲載日 :
2025/07/18
変更日 :
2025/07/18
総閲覧数 :
10 人
Web Access No.
2930065
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みなさん、こんにちは。室長の工藤です。
10年前のことですが、平成27年(2015)2月13日に配信のメールマガジンNo.145で、昭和53年(1978)の青森市制80周年事業として実施した「青森80選」を取り上げました。これは、市民のはがき投票と委員による推薦でもって、「青森らしさ」を見て取ることができる歴史や自然・名所、行事などを80選んだものです。
そのなかのひとつに「千富町の一本松」があります。
万太郎堰の向い側にあるこの一本松が選出された背景は、「昔は、浪館へむかうには久須志神社の所からたんぼの細い道を通って行きましたが、そのとちゅうに大きな一本松があり、休み場所となっていました(『青少年のためのあおもり80選』青森市、1978年)」というところにあるようです。
ところが、現在この一本松といえば「一本松の決闘」、すなわち万太郎堰に関わった水争い(水利をめぐるトラブル)の現場であるという、一本松の脇にある解説板に記されたストーリーで理解するのが一般的ではないでしょうか。先日、ラジオの生番組出演した際、万太郎堰に関する情報を視聴者から集めたところ、情報を送ってくださった視聴者のおじいさんが「一本松の決闘」に参加していたとか。このストーリーのすそ野の広さを感じます。
万太郎堰と水争いについては、肴倉弥八「青森平野開拓雑考」(1957年)で指摘してはいるものの実例が示されてはいません。ですから、一本松が争いの現場であったことが歴史的事実であった確証はありません。また、肴倉は万太郎堰の開さく者である「浅利万太郎庄屋が財産を減らしたのは、水争いの調停に多額の金を出資したためであるという(肴倉『青森市町内盛衰記』1953年)」との伝聞情報を記しています。
ですから、万太郎堰にまつわる一本松・水争いのストーリーは、必ずしも実証的ではなく、地域伝承的に伝わっていたものを昭和20年代末〜同30年代初頭に肴倉が拾い上げ「文字化」することで、歴史事実化されていったのかもしれません。一方、昭和50年代おいてこれとは異なるストーリーがあることは注目しておきたいところです。
というのは、たとえばJR青森駅西口付近にあったという地名「萬町」(現在旧町名表示柱が設置されています)の由来についても複数存在するようで、「萬」は「万太郎」にちなむとするものもあります。「万太郎」にまつわる事柄の周辺には複数の伝承的なストーリーが存在するケースがあるのです。
その意味では「聞き取り調査」が重要になってくるのでしょう。これは大きな課題です。
《問合せ》
青森市民図書館 歴史資料室
青森市新町一丁目3番7号
TEL:017-732-5271
電子メール: rekishi-shiryo@city.aomori.aomori.jp
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