びびなび : 青森市 : (日本)
青森市
びびサーチ
自治体からのお知らせ
タウンガイド
まちかどホットリスト
イベント情報
仕事探し
情報掲示板
身近なリンク集
個人売買
乗り物売買
不動産情報
ルームシェア
仲間探し
交流広場
まちかど写真集
地域のチラシ
ギグワーク
Web Access No.
びびなびヘルプ
企業向けサービス
その他エリア
ログイン
ユーザパネル
日本語
English
español
ภาษาไทย
한국어
中文
ワールド
>
日本
>
青森市
2025年(令和7年) 5月20日火曜日 AM 09時03分 (JST)
自治体からのお知らせ
新規登録
表示形式
最新から全表示
オンラインを表示
ファン
表示切替
リストで見る
マップで見る
写真で見る
動画で見る
カテゴリ別に表示
お知らせ
戻る
自治体からのお知らせ
びびなびトップページ
自治体からのお知らせ
お知らせ
No Image
印刷/ルート
ブックマーク
「あおもり歴史トリビア」第629号(令和6年11月27日配信)
「あおもり歴史トリビア」第629号(令和6年11月29日配信)
■□■□■□■□■□■
〈青森市メールマガジン〉
■□■□■□■□■□■
みなさん、こんにちは。文化遺産課の石戸谷です。
早いもので、今年も残すところ一か月となりました。今回は、正月のお供えである「ミタマメシ(御魂飯)」の風習について紹介したいと思います。
かつて正月は、祖霊のミタマ(御魂)が子孫の元を訪れる時期とも考えられていました。その際の供物が、ご飯を握って作ったミタマメシというものです。東日本を中心に分布していましたが、今日ではほとんど見られなくなったようです。作る数は、地域や家によって違いがありますが、月の数(平年は12個、うるう年は13個)とするところが多く、これに箸を1本ずつ立てて仏壇や神棚に供えました。
青森県内の事例としては、南部地方の五戸町では、ミタマママといって、年取り(大晦日のこと)に菱形に切った白餅と赤餅の上に握り飯を一つずつのせたものを16個作って、箸を1本ずつ立てて仏様に供えました(能田多代子『みちのくの民俗』)。
下北地方の東通村やむつ市周辺では、ミタマメシやニダマメシなどといって、年取りの晩に重箱に入れた握り飯を仏壇に供えました(『青森県史』民俗編資料下北)。
津軽地方の黒石市石名坂地区では、ミダマママという握り飯をお膳に載せて、それに箸を立てて仏様に供えました(『青森県史』民俗編資料津軽)。また、さらに古い時代では、幕末の安政3年(1856)に弘前の武士が記録した「私家年中躾帳」に、12月の晦に「身(み)玉の飯」9つに箸を1本ずつ立てて仏前に供え、4日の朝に下ろすことが記されています。
青森市内の事例を『青森市史叢書』から見てみましょう。
奥内地区では、ニダメシといって、大正月と小正月に茶碗に飯を盛って、箸を立てました。久栗坂地区では、大晦日に握り飯12個を用意し、箸を立てて仏壇に供えましたが、終戦の頃には途絶えてしまったようです。合子沢地区では、昭和初期まで大晦日に四角に切った12個の餅の上にニダマメシという握り飯をのせて、箸を立てて仏壇に供えました。3日または5日に下ろし、ワラツトに入れて軒下に下げて凍みらせ、3月頃に下して食べたといいます。横内地区では、大晦日に仏壇に供えたミタマメシを7日に下ろして粥にして食べました。西田沢地区では、小正月にどんぶり飯に箸2本を立てて、仏壇に供えました。
同じ市内でも呼び名や供え方に相違がみられますが、南部地方や下北地方との類似性が看て取れるのは興味深いですね。
さて、歳末から正月にかけて亡き人の御魂を祀ることは、古典文学でも散見されます。例えば平安時代の歌人 和泉式部は、「師走の晦の夜」として、「なき人の 来る夜と聞けど 君もなし わが住む里や 魂なきの里」(岩波文庫『和泉式部集・和泉式部続集』)と詠んでいます。
その後、鎌倉時代になると、吉田兼好は大晦日に「なき人の来る夜とて魂祭るわざは、このごろ都にはなきを、東の方には猶することにてありりこそ、あはれなりしか」(『徒然草』19段)と、京都周辺では廃れたが、東国にその風習が残っていることを記しています。
ミタマメシは、同時季の「お年玉」の風習とともに、日本人の「たま=玉=魂」観念に基づいた行事であったと考えられています。
《問合せ》
青森市民図書館 歴史資料室
青森市新町一丁目3番7号
TEL:017-732-5271
電子メール: rekishi-shiryo@city.aomori.aomori.jp
青森市メールマガジンをご利用いただき、ありがとうございます。
登録の変更や利用停止の手続は、次の画面からどうぞ。
○青森市ホームページ
http://www.city.aomori.aomori.jp/mailmagazine-riyou.html
[登録者]
青森市
[言語]
日本語
[エリア]
青森県 青森市
登録日 :
2024/11/29
掲載日 :
2024/11/29
変更日 :
2024/11/29
総閲覧数 :
99 人
Web Access No.
2357445
Tweet
前へ
次へ
■□■□■□■□■□■
〈青森市メールマガジン〉
■□■□■□■□■□■
みなさん、こんにちは。文化遺産課の石戸谷です。
早いもので、今年も残すところ一か月となりました。今回は、正月のお供えである「ミタマメシ(御魂飯)」の風習について紹介したいと思います。
かつて正月は、祖霊のミタマ(御魂)が子孫の元を訪れる時期とも考えられていました。その際の供物が、ご飯を握って作ったミタマメシというものです。東日本を中心に分布していましたが、今日ではほとんど見られなくなったようです。作る数は、地域や家によって違いがありますが、月の数(平年は12個、うるう年は13個)とするところが多く、これに箸を1本ずつ立てて仏壇や神棚に供えました。
青森県内の事例としては、南部地方の五戸町では、ミタマママといって、年取り(大晦日のこと)に菱形に切った白餅と赤餅の上に握り飯を一つずつのせたものを16個作って、箸を1本ずつ立てて仏様に供えました(能田多代子『みちのくの民俗』)。
下北地方の東通村やむつ市周辺では、ミタマメシやニダマメシなどといって、年取りの晩に重箱に入れた握り飯を仏壇に供えました(『青森県史』民俗編資料下北)。
津軽地方の黒石市石名坂地区では、ミダマママという握り飯をお膳に載せて、それに箸を立てて仏様に供えました(『青森県史』民俗編資料津軽)。また、さらに古い時代では、幕末の安政3年(1856)に弘前の武士が記録した「私家年中躾帳」に、12月の晦に「身(み)玉の飯」9つに箸を1本ずつ立てて仏前に供え、4日の朝に下ろすことが記されています。
青森市内の事例を『青森市史叢書』から見てみましょう。
奥内地区では、ニダメシといって、大正月と小正月に茶碗に飯を盛って、箸を立てました。久栗坂地区では、大晦日に握り飯12個を用意し、箸を立てて仏壇に供えましたが、終戦の頃には途絶えてしまったようです。合子沢地区では、昭和初期まで大晦日に四角に切った12個の餅の上にニダマメシという握り飯をのせて、箸を立てて仏壇に供えました。3日または5日に下ろし、ワラツトに入れて軒下に下げて凍みらせ、3月頃に下して食べたといいます。横内地区では、大晦日に仏壇に供えたミタマメシを7日に下ろして粥にして食べました。西田沢地区では、小正月にどんぶり飯に箸2本を立てて、仏壇に供えました。
同じ市内でも呼び名や供え方に相違がみられますが、南部地方や下北地方との類似性が看て取れるのは興味深いですね。
さて、歳末から正月にかけて亡き人の御魂を祀ることは、古典文学でも散見されます。例えば平安時代の歌人 和泉式部は、「師走の晦の夜」として、「なき人の 来る夜と聞けど 君もなし わが住む里や 魂なきの里」(岩波文庫『和泉式部集・和泉式部続集』)と詠んでいます。
その後、鎌倉時代になると、吉田兼好は大晦日に「なき人の来る夜とて魂祭るわざは、このごろ都にはなきを、東の方には猶することにてありりこそ、あはれなりしか」(『徒然草』19段)と、京都周辺では廃れたが、東国にその風習が残っていることを記しています。
ミタマメシは、同時季の「お年玉」の風習とともに、日本人の「たま=玉=魂」観念に基づいた行事であったと考えられています。
《問合せ》
青森市民図書館 歴史資料室
青森市新町一丁目3番7号
TEL:017-732-5271
電子メール: rekishi-shiryo@city.aomori.aomori.jp
青森市メールマガジンをご利用いただき、ありがとうございます。
登録の変更や利用停止の手続は、次の画面からどうぞ。
○青森市ホームページ
http://www.city.aomori.aomori.jp/mailmagazine-riyou.html